ROCK HISTORY

八ヶ岳の開拓精神とともに育んだROCKの40年

創業社長である舩木上次がROCKをオープンしたのは1971年。しかし、そのルーツとなるスピリッツはそのさらに前、清里の開拓時代から受け継がれるものです。そして清里の開拓者スピリッツは現在、ROCKに集った若いスタッフにも継承されています。

The Beginning ポール・ラッシュ博士による清里開拓

1935
清里への開拓開始

東京都の人口増加に伴い必要になった水源確保のため、山梨県の丹波山村および小菅村の一部がダムとして奥多摩湖に沈むことが決定。その際、住民の移住地として選ばれたのが、当時荒れ地であった清里でした。

ROCK伝説 現社長の「舩木上次」の父もこのとき清里へ入植した開拓民のひとりでした。
1937
「ポール・ラッシュ博士」清里へ

後に清里開拓の父と呼ばれる「ポール・ラッシュ博士」が清里へやってくる。清泉寮、キープ協会を立ち上げ、清里の開拓に従事していきました。

ROCK伝説 「ポール・ラッシュ博士」はさまざまな文化をアメリカから日本に持ち込んでおり、焼きマシュマロもそのひとつ。日本における焼きマシュマロの元祖は清里とも言われています。
1949
「舩木上次」誕生

ROCKの創業者であり、現・萌木の村株式会社代表取締役の「舩木上次」が清里で誕生。父親がキープ協会の農場長だったことから、舩木も幼少期から「ポール・ラッシュ博士」とふれあいながら育ち、その精神やホスピタリティなどを学びました。

1954
カンティフェア開催

厳しい開拓生活者を励ますためにポール・ラッシュ博士がカンティフェアを始めました。カンティフェアとはアメリカで古くから行われている収穫感謝祭。明日への希望を持って挑戦する人々を勇気づけるお祭りとして愛されました。

1st Generation カリスマ社長・舩木上次によるROCK創業期

1971
「喫茶店ロック」 創業。

300万円借金をして開店にこぎ着けました。創業当時のROCKは、鉄骨のベースの上に床が板一枚というほったて小屋のような建物で、すきま風もひどく、冬は店内の水道が凍結してしまうほどでした。

ROCK伝説 開店に際して「ポール・ラッシュ博士」から贈られた「Do your best and it must be first class(最善を尽くせ しかも一流であれ)」という言葉。この言葉は今もROCKに受け継がれています。
1974
店内大改築

最初の3年間は冠婚葬祭にも顔を出せないほど貧しい状況でしたが、ようやく経営的にも先が見えてきたころ、1200万円かけて店内の改装に着手しました。見た目は変わりませんでしたが、念願の断熱材を入れ店内環境が改善しました。

ROCK伝説 ドライブインとして、トラック運転手さんの憩いの場となり、カレーが名物料理となります!
1979
「ポール・ラッシュ博士」永眠

「ポール・ラッシュ博士」が82歳で逝去。現在その遺骨は清里聖アンデレ教会納骨堂に納められています。

1970-1980
清里ブームの時代へ

清里が『an・an』や『non・no』といった女性誌に取り上げられるようになり、若い女性を中心に観光客が急増しました。タレントショップが立ち並ぶなど観光地化も進み、バブル期には「高原の原宿」と呼ばれるほどのブームになりました。

ROCK伝説 当時人気の芸能人が多数来店しました。(坂本九さん、ジュリー、門田よしのりさん等)
1988
「ポール・ラッシュ祭
~八ヶ岳カンティフェア~」復活

一時中断していたカンティフェアが、「ポール・ラッシュ博士」の清里到来50周年を記念して復活。名称も「ポール・ラッシュ祭~八ヶ岳カンティフェア~」と改め、博士の功績と1年の収穫へ感謝するイベントとして再び愛されることになりました。現在では2日間の開催期間で来場者5万人を数えるイベントとなっています。

ROCK伝説 ROCKももちろんカンティフェアに参加。このイベント限定の「スペアリブ」は現在も人気です。
1991
バブル崩壊と清里ブームの終焉

バブル崩壊とともにブームも終焉を迎えます。80年代に出店した店舗も次々と閉店していきました。

2nd Generation 世界一のビールを飲めるブルワリー併設レストランに

1994
第一次地ビールブームが起こる

酒税法が改正され、小規模でのビール製造が可能になったことで、全国で地ビールブームが始まりました。舩木もクラフトビールに興味を抱き、翌95年には7億円の借金をしてブルワリー併設の新店舗建設計画を立てました。

ROCK伝説 しかし、社長の舩木はお酒が一滴も飲めません。
1997
「ブルーパブレストランROCK」オープン

店内に醸造施設を併設するレストランとして2代目店舗がオープン。ブルワリー併設レストランは当時山梨県内では初、日本全国でもまだ珍しいものでした。

ROCK伝説 新店舗は従来の3倍の広さに。プレオープンも行わず、いきなり夏の繁忙期にオープンしたため、スタッフはてんてこまいでした……。
ROCK伝説 日本であまり普及していない頃から「ハロウィンパーティー」を開催。現在でも人気のイベントとなっています。
ROCK伝説 大雪の際には、お店を開放して、移動できないトラック運転手さんたちに毎晩カレーやステーキをふるまいました。
2015
「プレミアムロック・ボック」
IBCインターナショナルビアカップ世界金賞

「ROCKのビールは生産地である清里で飲むもの」というポリシーから長らくアワードへは出品してきませんでしたが、2014年ごろからアワードへの参加を開始。翌年には「プレミアムロック・ボック」が世界一に輝きました。

2016
「清里ラガー」
ワールドビアアワード
ワールドベスト 世界一位

「プレミアムロック・ボック」に続き、今度は「清里ラガー」が世界一となりました。

2016
ROCK、火災にて焼失

8月8日の深夜に出火した火災により、店舗が全焼。招集されたスタッフは燃え上がる店舗を見て茫然自失となるも、火事当日に舩木が再建を宣言、スタッフが一丸となって未来に向かって歩き出しました。

ROCK伝説 舩木は鎮火もされていない、消火活動の続く店舗をバックにYouTubeに動画を配信。火事の真っ最中に店舗再建を宣言していました。

3rd Generation 開拓者スピリッツを受け継ぐ若い世代が次世代ROCKを再建

2017
「萌木の村 ROCK」オープン

火事から1年も経たない2017年6月9日、三代目にあたる店舗がオープン。店名もこのとき「萌木の村 ROCK」に改められました。

ROCK伝説 再建宣言をしたのは舩木でしたが、この再建の中心となったのは若い世代のスタッフ。火災直後は再建資金の目処も立たず店舗消滅の危機にも陥りましたが、苦境に負けることなく自分たちの理想を詰め込んだ新店舗プランを立案し、再建を実行しました。
2017
27歳の総支配人が誕生

再建に奔走した若手スタッフを代表し、27歳の「三上浩太」が総支配人に抜擢。新しいROCK時代の幕が開けました。

ROCK伝説 再建後最初の夏を迎えた8月、ROCK46年の歴史上最高の1日売り上げを記録。バブル期の清里ブームを上回る賑わいをみせました。

ROCK KIYOSATO MOEGINOMURA